2012年2月

怪談
2012年2月14日

山田野理夫の美しい怪談

 1月24日に山田野理夫氏がお亡くなりになりました。
 その訃報を知った当日、空気を噛むような現実感の無さをぼんやりと引きずりながら、氏の著作を本棚から取り出し、「蝶」という説話を読み返しました。日本怪談の特異な美意識と自然観を改めて思い知らされた、思い入れの深い一編。以下に要約してみます。

 春、旅する侍が一息つこうと一軒のあばら家の戸を叩く。返事が無いので戸を開けてみると、暗い座敷の奥に美しく重なり合った無数の蝶の群れを見る。何事かと思い、灯りとりの戸を開けた瞬間、蝶たちはいっせいに羽音なく飛び立っていってしまう。後に残されたのは、黒髪だけがそのまま残った女の人骨だった。村人が言うには、蝶を愛し求めてこの地に来た女だそうだ。
 
 肉体という拠り所を無くした女性の思いが、それでもなお蝶を求めるあまり、とてつもなく研ぎ澄まされた執着の塊となっていくのでしょう。
 このような現世に残留した強い思いは、恐ろしい怪異を生むのが怪談の常です。しかしこの話では、蝶たちがその感情の発露を引き受けることで、恐怖を超えた鮮烈な光景が怪異として発生します。その光景のこの世ならぬ美しさといったら!

『日本怪談集 – その愛と死と美』山田野理夫(潮文社新書・1967年・新装版)

日本怪談集 – その愛と死と美

 本書に出会ったのは、とある古本市でした。恥ずかしいことに、『怪談実話系2』『東北怪談全集』をきっかけとした再評価とほぼ同時期ながら、その動きを察することなく、恐ろしげな「能面ジャケ」に単純に惹かれたのです。

 氏が日本各地から収集した、民話として伝えられる怪談・幻談の数々は土地土地が古くから醸造してきた風土や民俗の匂いをまとっており、「能面ジャケ」に見た恐怖への期待とは裏腹に、ついつい、怖がることを忘れてえも言われぬ郷愁に浸ってしまいました。
 その中でも特に「蝶」のような、目の覚めるような美が怪異として立ち現れる話にすっかり夢中になってしまったのです。

 花に姿を変え、虫に変化させた男を溶かす女(「花と虫」)。
 阿弥陀仏を一心に求め、口から紅のはすの花を伸ばして絶命する無頼漢(「出家と花」)。
 弔いの朝顔の傍らで、両親に微笑みかける娘の亡霊(「朝顔」)。
 
 都会的でドライな実話怪談を貪り過ぎていたからでしょうか、本来日本怪談が秘めていた、人間の情念と自然が織りなす夢幻なる美の魅力を忘れていたことに、この作品でようやく気付くことができました。
 小泉八雲『怪談』をまた新鮮な気持ちで味わえるかなと、しとやかな美しさを湛え出した表紙の能面をじっと見すえた覚えがあります。
 そして、本書で描かれたように、人間が「怪談」として怖々と受け止める領域に動物や植物がたやすく関われるのであれば、死の向こう側の世界も「自然の摂理」の輪の中にあるのではないか。そんなことを夢想するのです。
 どうか、山田野理夫氏の魂が日本の美しい自然と共にありますよう。

(京都)